ポップに心を削られて

ポップに心を削られたマチ子の日記です

今冬、みかんに学んだオババの手口

なんていうか、近頃、心なしか少しばかり太った気がする。

それを母に指摘されたのは、つい先日のこと。

うちの母は「THE・ニッポンの主婦代表」みたいな感じの母で、一歩外へ出ると平気で「イイ所の奥様」みたいな不敵な面構えで颯爽と歩くが、内へ入れば「ただのゴシップ好きな野次馬オババ」である。

故に、自分のことよりも断然人には厳しいし、なにより人の色恋話や艶な噂が大好物なのである。

まったくもって迷惑な話。

 

先日実家へ帰った際、いつものようにソファでゴロゴロしていた。

雑作なくテーブルに開かれたままの、一冊の雑誌。

母はそれを見つけ、たった一冊なのに

「もう~、またテーブルの上、ごっちゃ満開にして~!」

と大袈裟に言いながら、いつもソファの脇に鎮座しているマガジンラックに片付けた。

その時、ちょっとだけ不機嫌に皺が寄せられた眉間を更に曇らせ、こう言った。

「え!マチ子さん(うちの母は、家族全員を「さん」付けで呼ぶ)、ちょっと胸おっきくなってない?

っていうか、太った?!

あなたがストレス抱えているようには見えないし・・・ストレス太りではないわよねぇ。

あぁ、分かった。もしかして今、幸せなのね。ふふふ。」

まったく誰が見ても考えすぎだし、余計なお世話である。

太った、痩せた、胸が大きくなった、そんな外見に対する見解は、女性にはさぞかし付き物な会話だろうと思う。

しかしそこから人の「幸・不幸」にまで思考が及ぶというのは、私からするとやはりお節介な「オバサン」なのである。

私も私で、太ったことについては思い当たるふしがあったから何も言えずにいると、お節介オバサンは「妖怪深情け悪女」に進化し、私を必要以上に詮索し始めた。

「好きな人か彼氏でも出来た?」

「幸せ太りってことは両想いよね?」

「たぶん片想いなら、太りはしないと思うなあ~」

などと終始いやらしい笑顔で、自身の見解を交えながらニコニコ聞いてくる。

これは相手が「オヂサン」なら、事案である。完全にセクハラ。

しかも誰も座れなどと頼んでいないのにも関わらず、目の前に座りテーブルに両肘をつき、さながら乙女のようである。

しかし、そのものずばりで度々繰り広げられそうになるいわゆる「恋バナ」に、私は毎度

「うん~、まぁ・・・」

などと今度はスマホに目を逃がし、どっちつかずの返事でかわすというのがデフォルト。

そしてその度に「奥様」というある種のステータスに重きを置く母に向かって、心の中で「ふんっ!」と鼻で笑うのである。

何が「恋愛」だ、何が「奥様」だあ~!

これが私流の、せめてものやり返し。母には逆らえないので。

 

そんな母に毎年聞かれることがある。

それは、「今年はみかんの皮、どうしてる?」ということ。

うちの母は、みかんの皮を捨てずに再利用する。

乾燥させて料理に使用したり、はたまた粉末にしてお茶にしたり。

それでも使い切れなかったら、掃除に使用するのがいささか定番。

私もいつしかそれに習って「アホくさ」なんて思いながらも、やはり棄てられずにありとあらゆる手段を駆使して使い切るようにしている。

何ならそういう貧乏くさい「謂れ」を未だ守ってちまちまとやっている自分がとても好き。

ただ、今冬は早速爪が黄色く染まるまでみかんを食べすぎたので、到底自分だけでは皮を処理しきれないと思い、「余ってるならちょうだい~!」という母に寄付をした。

しかし、思いがけないことが起きる。

なんとその際

「わ~!いっぱいありがとうね!掃除にいっぱい使うわね。

でも何だか申し訳ないな~。

そうだ。お餅がいっぱい余ってるから、お礼にお餅あげる!

持って帰って!早く食べきらないと、カビちゃうからね~!」

と、一人で食べきるのが早速不安になる量の、手つきの餅をたんまり持たされたのだ。

いや、普通ならば捨てるはずの「みかんの皮」が、食べられる「餅」に進化したのだから、これは大変な功績だろう。

第一、食べ物を粗末にせず、更に自然を尊重するという行為はとても理にかなっている。

そしてその結果として、人が生きて行く上で必要不可欠である「血となり肉となる」食物が与えられるというのは、本来ならば相当な徳を積まなければ得られない華々しいキャリアといっても過言ではない。

ただ、その華々しいキャリアと引き換えに、それから私は「餅がいつカビるのか分からない恐怖」と連日、いや毎秒戦うハメになった。

みかんの皮は再利用するくせ餅はカビさせて捨ててしまうなど、本末転倒もいいところで、やはりうちにとっては絶対的なタブーなのである。

冷蔵庫の中でレゴブロックのように積まれた餅に、辟易している場合ではない。

醤油、きなこ、あんこ、お雑煮。

始めこそ年に一度しか食べない餅に後を引かれ、妙味のある味に憎きを抱くくらいには日本の伝統食や先人の知恵に感謝するほどであった。

しかし朝、昼、晩とありとあらゆる「味変」を用いて食す餅も、もう限界。

最終的には

「みかんの皮みたいに、餅も掃除に使用出来ないだろうか」

などと罰当たりなことを考え出す始末。

餅が膨れるのと比例して重くなる腹と心。

日を追うごとに、何故か削がれていく食欲。

そしていよいよ、餅の甘みが感じられずに完全に無味になったところでようやく食べ切った。

  

以上が私が太った原因である。

お気付きだろうか。

頼んでもいないのに自分から非常識な量の餅を持たせ、

「早く食べきらないと、カビちゃうからね~!」

などと脅迫しておきながら、いざ人が術中にハマると証拠(私の場合は脂肪)を盾にし、人の感傷をわざわざエグってくる。

しかもイヤラシイ笑顔で。

そしてあまりに人の色恋に詮索が過ぎるので、母に持たされた餅が太った原因だということを白状すれば、返ってきた言葉はこう。

「え?確かに早く食べ切っちゃってねとは言ったけど、そもそも食べ切れないのなら冷凍すればいいじゃない。」

これがうちのオババの手口ですよ。

自分の思う成果が得られなければ、圧倒的な手のひら返しで突き放す。

そこには「慈愛」など生ぬるい言葉は存在しないし、さながら乙女のような面影もない。

そこにいるのは、やはり「妖怪深情け悪女」なのである。

そして私は膨れた腹太鼓を嗚咽で掻き消し、悔しさをバネに「妖怪深情け悪女二世」として飛躍するのだ。

まず、私が人をゆすりたくなったら、これからはターゲットに出来るだけ足の早そうな手つきの餅を持たせようと思う。

そしてテーブルに一枚の紙を広げ、その脇には朱肉と印鑑。

早速両肘をつきながら聞くのである。

「幸せ太りってことは、幸せなのよね?」

「そんなに私のことが、好きなのよね?」

「どうする?これから私たち・・・?」

これ、春が長すぎる世の女性たちは是非使ってくださいよ。

決行日前日、夜な夜な勇ましい音を立てながら餅をつき、汗水と共に目尻を垂らし餅を丸める姿は狂気そのもの。

餅の中に指輪が入ってたら完璧じゃないですか。

まずそのためには当然、みかんの皮の再利用法を伝授するのをお忘れなく。そこからがシナリオ。

みかんの皮を一剥きする度に、少しずつ少しずつ剥がれていく理性と化けの皮。

それに反して、瞬く間に厚くなっていく、面の皮。

そんな「自身の破壊」が頭の中で鮮明に再生された今日日、完全犯罪の幕開けである。

 

以上、今年のみかんはワケあって餅に変わり、「私の脂肪」と相成りましたことをこの場をお借りして報告いたします。

(借りるもなにも、私のブログだが。)