ポップに心を削られて

ポップに心を削られたマチ子の日記です

ホラー映画鑑賞時の安易な「キャッ」についての考察

ついこの間の深夜、何年ぶりか自宅で1人ホラー映画を見ていた。

思うのだけど、こういうときに「キャッ」とか言って抱きつくような女性と、それに対し当然といった感じで髪を撫でてやれるような男性がモテるのでしょうか。

まったく有り体に言えば、私はこれまでそういう男女のことをいささか小馬鹿にして生きてきたわけだけど、実はそういうのはいかがなものかという気持ちもなくはない。

当然倫理上、人を小馬鹿にするとかそういうのは良くないという認識のもとに生きているし、更に言えばそういう認識がありつつもやっぱり小馬鹿にしてしまう自分を「性格が悪いな~」と自覚はしている。

この歳にして尚独り身の女がこういうことを唐突に言い出すのも、少々薄気味悪いななどという自覚も勿論ある。

しかしちょっぴり俯瞰して見てみると、そういう「キャッ」で安易に男性に抱きつけるような女性を少し残念に思ってしまうし、更にそれに対し安易に対応できるような男性って、そういう女性以上にちょっと頭が悪いのかな~なんて思う。

自分が男だとしたら、最高に盛り上がる怖いシーンで「キャッ」とか来られた日にはこっちが「キャッ」だし、映画ってそもそもが世界観を含めて楽しみたい。

例えばストーリーっていうのは点があちこちに分布していても、線で繋げればある程度は回収が出来るわけで。

しかしながらその世界観っていうのは、残念ながら一部分だけでは分かり得ないものでして、オープニングからエンドロールまで一気に観て、そこで初めて残響の繊細な余韻も含めた無二の世界観を描けるのかなと思う。

物語のハイライトに向け丹精して育てたボルテージを安易な「キャッ」によって阻害してしまうというのは、ある種同調圧力に近いものがあると見なすし、ちょっと残念だなと感じてしまう。

何度も言うようだけどホラー映画の醍醐味っていうのはそういう「キャッ」な部分にあるわけで、相手の「キャッ」な部分を自分都合の「キャッ」という極悪非道他ならない同調圧力によって安易に萎萎させてしまうはいかがなものか。

そしてホラー映画はその「キャッ」の部分で立派に職責を果たしているわけで、そういう職責を自分都合の「キャッ」で安易に踏みにじるっていうのはどうなんでしょうね。

ちょっと浮かばれないかな。

ついつい同情してしまう。

互いに持つ世界観は違って当然なわけで、2人同じ時間に同じ空間で同じ映画を観ていたとしても、私は相手が抱く世界観を大いに尊重したいし、大切にしたいと思う。

そしてエンドロールが終わったのちに、現実世界にて互いの世界観を公開しあい、更には繊細な感情の動きまで含めて共に分かちあいたい。

その方が世界が広く見えるような気がするし、一緒にいることによって逆に相手の片目を潰してしまうことになるのはやはり理想ではないかなぁ。

例えば戦国時代に生きていたとしても、「キャッ」とか言って相手にすがるような女にはなりたくはないし、やはりそこで相手の男性には

「共に戦い、そして涅槃で会おう。」

みたいなことを言われてみたい。

で、涅槃で初めて互いの功績を称えあう。

こういうのがロマンチックじゃないですか?

パートナーってそういうことなんじゃないかなって。

一緒には居るんだけど各々の世界ももちろん大事で、そこについて温度差を埋めようと一方的に同調圧力を振りかざすような、そんな無粋な女にはなりたくないなぁ。

そして出来れば持ちつ持たれつで行きたいし、女っていうよりも自立した一人の人間として見てほしい。

まぁあざとい女と底が浅い男にとっては、そういう「キャッ」というのが恋のマテリエルとして役に立つものなのかな。

ちょっと理解が難しい。

ようは、あまりベタベタしすぎているのは好みじゃないし、相手を尊重するってそういうことなんじゃないかなぁってただホラー映画を観ただけなのにこういうことを考察してしまうから未だ独り身なんだということは承知してます。

ところで最近、矢沢永吉私設応援団の総会長を追放したというニュースが流れたけれど(ビックリしましたよね)、かっこよかったですよね。

一部のファンを優遇しないというか、ファンはあくまで皆平等という彼らしい一本筋が通っていたのかなと。

彼は以前、自身のライブについて

「やる側のプライドと聞く側のプライドが合わさってこそ、最高のライブが成立する。」

と言っていたのだけど、これからのライブはやる側はもちろん聞く側にもプライドが無きゃ駄目なんだということらしい。

それを踏まえた上で、

「俺はお客さんに自分と同じノリでやれとは言わない。それを言ってしまう奴がいたとすれば、それは俺のライブじゃなく、そいつのライブになっちゃうワケ。」

とも言っていた。

そして、その圧力によって人を不幸にさせたビールは不味いだろと。

しかしそれでも不幸にさせた当の本人は「お祭りなんだからいいだろう」と、どういうわけか美味い酒を飲むんだよなぁ。

全員が全員同じ温度でというのは至極無理な話で、じゃあどうすればうまく共存出来るのかというと、それはやはり互いを尊重し合うしかないわけですよね。

決して圧力を振りかざさず温度差を分かち合い、誰の世界観も素晴らしいものだと認めること。

もちろん矢沢永吉は冒頭で述べた男女を小馬鹿にするような、器の浅い人間ではないと思うのだけど。

これって、ホラー映画の「キャッ」にも言えるんじゃないかなぁ。