言わば始まりの、東京タワー
先日、昔通っていた大学の近くで用事があったので、久々に都内まで足を運んだ。
昔と違うのは、電車ではなく車だということ。
学生時代なんて、いつも満員電車に揉まれて心底嫌気がさす毎日だったけど。
それでも「昔みたいに電車で来れば良かったかな・・・」と多少なりともウエットな感情を抱いてしまうのは、昨夜黄昏と共にライトアップされた東京タワーを眺めていたからではない。
大学の近くになんてもう一生行きたくはないなぁなんて思っていたのは、劣等生だった自分の残像があるからでも、雑作なく捨てた恋愛を置きっぱなしにしていたからでもなく、親の期待に応えられなかったから。
一言でそう言ってしまえばまだ単純かもしれないけど、でもその感情の中にも色んな事情があった。
わりとそこら辺は苦い思い出ばかりで、例えば友人関係なんかもそう。
当時私は大学とは全く関係のない進路に進もうとしていたし、何なら大学なんかやめてもいいとさえ思っていて。
同期たちと違う進路に進もうとしている自分がとても滑稽に思えたし、自分が勝手に選んだ進路にも関わらず、勝手に疎外感みたいなものを感じてた。
本当に自分がダメなヤツに思えたし、この期に及んでまだ自分の好き勝手に生きたいと思う気持ちが、安易な「ガキの地団駄」に思えて。
両親は進路についてはずっと自分の好きなようにさせてくれてたから、そもそもレールを外れることに対して「ガキの地団駄」なんて思うのはちょっと違うのかもしれない。
もしかしたら大学なんて行かなくてもそれはそれで許してくれたのかもしれないし、勝手に自分がそう思い込んでいただけで。
でも事実学費はかかっているわけで、そこについて申し訳ない気持ちがまったくないわけではなかった。
お金を奪うことは時間を奪うことと同等、もしかしたらそれ以上の罪だから。
でも、それでも、私は自分の置かれたレールの外に見つけた、発揮性の儚い、でもだからこそ力強く輝く希望に、抵抗のしようがなかった。
あの頃、毎日東京タワーを眺めていた。
太陽が天頂を通過し、安らかな日陰を作る昼間の東京タワー。
黒ずんでいく黄昏に因果し、浮かび上がり装飾されていく、夕暮れ時の東京タワー。
よどんだ都会の暗闇を原色に染め上げる、煌びやかな夜の東京タワー。
そして中でも一番好きだったのが、雨に滲んだ夜の、灯が濡れる東京タワー。
悲しい自然の雨に反した煌びやかで人工的な東京タワーは、裂けるように相反していく私の心情を表しているようで、いつもとても切なかった。
日々自分の知らぬ間に、知らぬところで露呈していく罪悪感と寂寥感。
自分ではその心の渇きを抑えることは、とても難しかった。
既存のレールに乗ってしまえば楽なのは分かっていても、そのレールに乗ることが自然なのだと分かってはいても。
名状しがたい理性に淡つかに心は奪われて、いつしか心のかさぶたが頼りない護身服のようになってた。
それは傷を負うのは自分ではないはずなのに、孤独ぶりたがりの悲劇のヒロインにでもなったかのようで。
両親に対する罪悪感は募っていくばかりだし。
ましてや友人に対する疎外感は、まるで底知れない夜の海に一人で放り出されたようだった。
いつからか、本当に知らぬ間に
「テストが終わったらまた飲もう!」
そのたった一言で分かり合えるような仲ではなくなってた。
仲間外れとかイジメとか、そんなんじゃない。
沈黙を越えた絆が、苦難に乗り越えられなかっただけで。
「進路」という溝は、自分が想像していたより遥かに深く、とても克服できない孤独感だった。
そして自分の理解と相反してせめぎ合うちょっとした希望は、心の糸が緩んだ瞬間、たちまち色彩を増し始める。
それも人工的な光を孕んで。ものすごいスピードで。
まるでスカスカな網の目にでもこびりつくように亀裂を満たしていく希望は、無味な私の心をいつも豊かにさせた。
掴みどころのない不安感や出どころ不明の寂寥感が練られた擦りガラスが、たちまち鮮明になり始める。
とても不思議だった。
そして満たされた希望は、いつも自分じゃないような気がして新鮮だった。
合わない湿気を多分に含んだ暗闇の、ほんの一点に点じられる微かな光。絡まるように交差していく罪悪感と、ささやかな充足感。
進路に悩む自分と、レールの外に希望を見出す自分はまったく違う人物だった。
結局私は自分の希望する進路へ進んだのだけど、全ての感情を克服できたのかというと、決してそうではない。
たまに思い出してはとても苦い顔になるし、深い郷愁に触れ胸が締め付けられることも実は少なくない。
しかし当時苦楽を共にしてきた同期に今会ったとして、再び沈黙に加え時間を越えられるかと聞かれればそうではないと思うし、第一合わせる顔もないのは現時点では明らかで。
素手で殴り合えるのはまさにあの時だけだったのだと、あの時しかなかったのだと気付いた時には遅かった。
今なら何を言ったところで後味の悪い、互いにとっても消化不良のいがみ合いにしかならなそうで。
延々と石投げが続くような討論は、小学生よりも幼くて始末が悪い。
だけど、それでもいつかは10年20年かかっても、あの時みたいに沈黙を理解と希望で満たせたら。
そんな都合の良い夢を見てしまう。
悔恨、罪悪、憂苦。
全て一枚一枚の薄紙を剥ぐように、時折剥ぎ目が分からなくとも「それでもなお」と、少しずつでも白んでいくようにやってきたつもりだけど。
これで良かったかなんて一生分からないと思う。
それでも今は、夢の中で空足を踏むような焦燥に惑わされていたあの時とは、まったく違う。
それこそ「希望」なんて大袈裟に言うつもりもないけれど、行き詰まりではないしもちろん暗闇でもない。
たぶん、今は「黄昏」なのだと、夕暮れに溶ける東京タワーを見て初めて感じた。
無論それは終わりではなく、よどんだ暗闇を原色に染め上げるための準備期間。
言わば始まりである。(そうじゃなきゃ困る)