ポップに心を削られて

ポップに心を削られたマチ子の日記です

贈り物は誰も知らない

年末年始の贈り物の総称が「冬ギフト」と呼ばれるようになって、ずいぶんと久しい。

名前の通りに儀礼的でフォーマルなものよりも、もっと気取らないカジュアルなギフトがここ最近のトレンドだそう。

ネットを見ていても手軽ながら上品な品がたくさんヒットしたうえ、なんと駄菓子の麩菓子もあった。

私も毎年、年末から年始にかけてクリスマスプレゼント・お歳暮・お年賀、などといったふうに色んな方にギフトを贈らせていただいている。今年もそう。

こういう機会でないとなかなかご挨拶をしなくなってしまった方なんかもいるので、一人一人を想いながら贈り物の準備をするというのは、何とも胸が膨れるものがあります。

ギフトを選び、それぞれに送り状を書く。コロナ禍とはいえ師走で街中がなんとなく慌ただしい中、この一年の感謝と思い出を振り返り相手を想う時間は、非常に濃密で唯一心が休まるときであった。

しかしながらこういう儀礼的なものだったら何とでもなるのだけれど、私の場合、何だか「プレゼント」というものに関してはまったくもってセンスがないように思えてならない。

一つエピソードをあげてみると、数年前の今時分、知人女性が近頃どうにも体調が優れないという話をしていた。

せめてもの気持ちをメッセージ(LINE)として送ったものの、実際のところ遠くに住んでいるものだからすぐにはお見舞いに行けない。

ともなると、今すぐ自分に出来ることはお見舞いの品を送ることだった。

彼女から得た情報は「食欲もなくてね、とにかくすぐに横になるようにしている」だったから、食べ物はやめて時期的にブランケットなんてどうだろうという、わりにシンプルな結論にいたった。

さらに気丈で働き者の彼女が、「毎日退屈で気が滅入るのよね」と幾度となく言っていたのがとても印象に残っていたから、せめて使っていてウキウキするものが良いであろう。

だからシンプルなものよりも、出来るだけ可愛いブランケットを。そうして色々と吟味したためにとても時間がかかったのだけど、なんとかその日のうちにネットで注文をした。

ところでネット注文だから、本来送付先もそのまま相手の自宅で良かったのだけど、私はどういうわけだか変なところで神経質な性質(タチ)でして、自分自身で「検品作業」をしないと気が済まない。

どういうことかと言えば、効率も悪いし送料も余計にかかるとわかってはいるものの、しかと自分の目で「やれ包装はしっかりなされてあるか」「やれ領収書は入れるなと言ったが、本当に約束は守ってくれているか」などといったことで、もうここまでくると神経質っていうよりはただの人間不信なのだけど、当時はその丁寧さ(と言ってもいいよね)がとても仇となりました。

というのも店舗からそのまま相手宅へ直送だと諦めもついたと思うんだけど(贈り物でこんな言い方もなんだけど)、いざ自分の手に届いてしまった途端、困ったことに色々と不安になってしまった。

注文したブランケットというのはあまり見ないデザインで、大判サイズのケーブルニットに上下に大きなポンポンが沢山付いたような、いささかほどにメルヘンなものであった。

もちろん良かれと思って注文したのだけど、よくよく考えてみたらいくらウキウキするような可愛いものをとは言っても、こういう「デザインのあるもの」っていうのは好みがあると思うし、そういえば相手宅のインテリアまでは知らないのである。

ネットの参考画像も、ハイバックのソフトレザーかなんかで、なんていうか、いかにも高級ホテルのようなグラマラスでラグジュアリーなベッドにそのブランケットが「ふわぁ」と掛かっていたものだから、当然心を奪われて「これは絶対にグレイト!」なんてつい盲目的な勢いでカートに入れてしまった。

だから好み云々の前に、こんなメルヘンなものを送りつけておいて、実際の自宅のインテリアが下にすのこなんて敷いてあって万年床だったとしたら、ミスマッチにもほどがあると思ったわけです。

それだったらまだ良いと思うんだけど、万が一寝室が畳とかだったら絶対に合わない。

それとは逆に、もし(ないとは思うけど)宮殿のような豪壮な御邸宅だったとしても、そういう家のインテリアは大抵アンティークであるといった風に相場は決まっているから、やはりメルヘンなブランケットは絶対に合わないデザインなのである。

さらには、ニットのブランケットなんて擦れてすぐに毛玉が出来てしまうんじゃ・・・?とまで考えてしまうと、怖くてとうとう送れなくなってしまった。

そう考えると、贈り物っていうのは難しいとつくづく思う。

最低限センスと配慮が必要だし、あることによってはマナーだったり、逆にタブーもあり得る。贈るタイミングだって考えなくちゃいけない。

だから以上の反省点をふまえ、今後この課題をどう追求していくか・・・

なんてそんなことを考えたことはやっぱりないんだけど、でもじゃあ今回の反省を生かして更にあれこれネットで見てみても、やっぱりどうにもしっくりこない。

そうしたらそうこうしている間に、こちらはLINEだけだったにも関わらず、相手の知人女性が

「励ましのメッセージありがとうねぇ!お陰様でだいぶ良くなりました!」

なんて家に手紙とギフト(梨をたくさん貰いました)まで寄こしてくださったものだから、普段こちらは色々としていただいたり気にかけてもらっているにも関わらず、何だかただの薄情者で終わってしまったというわけです。

まさか今更になって「実はメルヘンなブランケットを・・・」なんて言い出せるわけじゃないし、うーん、じゃあどうしようなんて思った結果「最近はご飯がとっても美味しく感じます!」なんて聞いてもいないのにキュートな一文が書かれていたものだから、「これは絶対にグレイト!」と思った魚沼産コシヒカリを注文して送らせていただいた。(相手宅へ直送)

米が嫌いな日本人はそうそういるまいし、食べ物ならずっと残るものではないから、こちらとしても贈りやすい。

こんなふうに私は昔からこういったことが非常に多い。

なんていうかどんくさいのか要領が悪いせいか、余計にあれこれ考えすぎてしまうせいか、人よりテンポがだいぶ遅れているし、「よし!」と腹を決め全ての段取りを済ませた頃には大抵全てが終わっている。

だから自分としてはとても盛り上がっているつもりなのだけれど、本当は裏ではこんなにドラマチックな人情劇が繰り広げられているなんてことは誰も知らないのである。

知らないどころか、逆に薄情者や無精者に思われている節があるかと思うと何だかちっともやり切れない。

兄でさえ、よく「お前は昔から人の寛容さにあぐらをかきすぎているうえ、まるで怠慢が天職のようだ」とか言ってくる始末なのである。

あー、男性にはわかんないんだよな、こういう気持ち。

 

ところでそのメルヘンなブランケットはどうなったかというと、もちろんそのままにしておくには勿体ないので自分で使っています。

なんだか悔しいから夏でも出しっぱなしにしていて、「どうせすぐに毛玉だらけになるんだろう」なんて思っているから非常にガサツに扱っているのだけれど、数年経った今でも毛玉一つ出てきやしない。

洗濯だってクリーニングには出さずに、家のドラム式標準コースでガチャガチャ洗っているのだけれど、いつでも「ふわぁ」としていてメルヘンなので、「やっぱりこれはグレイト!」なんて思ってしまう。

そんなわけでなかなかどうして、このメルヘンなブランケットが自分的に近年稀にみるベストバイらしい。

やっぱり贈っておけば良かったなあ。