ポップに心を削られて

ポップに心を削られたマチ子の日記です

酒と孤独はマリアージュ

何日ぶりかも忘れてしまったくらい。

気まぐれで久しぶりにテレビを点けたが、ガヤる音に耐えきれずすぐに消した。

これと言って見たい番組も特にはないし、ニュースはもっぱら新聞かネットだし。

独り暮らしなので、部屋がとにかくいつも無音。

話し相手が欲しいわけでも、笑いたいわけでもなく、ただ時折濃密なまでの無音に耐えられずにリモコンに手が伸びる。

しかし画面から光源が自分に浴びせられた途端、空間に立ち上がるのは女のキンキンした作り物のような笑い声。

更にはデジャブと言ってもいいくらいの、ありきたりでくだらないシチュエーションコメディ。

反吐の出るような「ウザさ」に辟易して、それならば艶のある平坦なアクリル(テレビ画面)でも延々と舐めていたほうが随分と有益だと苛立つ始末。(嫌味)

そして結果、やはり無音を選ぶ。

 

暗くなったテレビ画面に映る真っ黒い自分は、いわゆる「キラキラ」した世界にのけ者にされた自分をまざまざと見せつけられているようで、とても無様。

日常に忙殺され、肉でも刻むかのようにだんだんと鈍くなっていく心も相まって、機微も感覚も全てが薄黒く染まっていくばかりなのだけど。

それでも結局のところは1人の方が好きで、濃く煮詰まった無の空気に身を押されながらも、この時期冷え切った身体に更に氷点下のハイボールでも流し込んだほうが、幾分か心は温まる。

そしてアルコールと孤独が凝結され、その結露によって日頃乾きがちな心がたちまち潤いはじめる。

 

1人で部屋にいると、もしかすると世界はとっくに終わっていて、このベッドの上に横たわる自分は異次元から見た残像か何かなのではないか、などと思ってしまうことも少なくない。

今キーボードを打つこの「時間」さえも、恐らくは残像か何かだったりして・・・なんてことも、意味もなく延々と考えてしまう。

一歩外へ出てしまえば自分以外の皆、いわゆる世間様は温まる暇もないほどにせわしなく動く時間と絡み合い、せっせと働いているわけで。

そんなことを考え出すとまるで、海は無限に広がり、空は限りなく高く無重力さえも存在するというのに、自分だけが暗く狭い野末に立たされているように陳腐な被害妄想を描く始末。

そんな自分とは全く軸の違った世界に、たまには孤立感を抱くこともある。

ただ世間とはリズムが違うだけで、まぁ無職というわけではないのだからただの考えすぎだとしても、なんとなく、置いてきぼりのような気もしていてちょっと寂しい。

とは思いながらも、結局は孤独を酒で流し込みグータラ寝るのだけど。

そういうあまのじゃくな女なんです。

 

そんなんだから、なんていうか、とにかく人が苦手。

極力話したくないと思ってしまうし、よっぽど気を許している人以外はLINEも返信するまでにだいぶ寝かせるタイプ。(滅多に来ないけれど)

今現在友人も片手で足りるほどに少ないけれど、自分にはそれで十分すぎると思ってる。

一対一は得意ではないし、かと言って二対一とかもあんまり。

贅沢を言えば十対一とかで、席のコーナーでバレないように俯瞰してたいタイプ。

そもそもそんなに大人数の集まりには行かないし、呼ばれもしないんだけど。 

 

故に人ごみもあまり得意ではない。

週末、まるで街路を黒雲で埋めるようにごった返す繁華街には絶対に行きたくはないなぁと思うし、週末は極力出かけないようにしているつもり。

そして仕事柄、週末がとても忙しくなるから月曜日が来ると途端に心が緩む。

世間でいうところの月曜日の憂鬱が「マンデー症候群」ならば、こちらでいうところの憂鬱は「フライデー症候群」。

となると、たちまち華金という文字が呪いの装飾でなぞられ始め、世間の「お囃子」に焦燥感が募る始末。

自分にとってブラックタイムとはまさに週末のことで、日曜日の深夜、時計の短針が日付平行線を越える頃になってようやく

「あぁ、やっと一週間終わってくれた~・・・」

と日頃の溜飲も下がる思いで、一息つくことができる。

月曜日の訪れは、精神の休息。

私はその、世間でいうところの「一週間の始まり」に、心の置き所を求めているのである。

 

そんな月曜日に、必ずと言っていいほど決まってすることがある。

それはリビングに飾る花を買って帰ること、そして自分へのご褒美に1切れ3000円のヒレ肉を買って自宅で調理すること、でもなく。

「いつも購入している1瓶900円(700ml)のブラックニッカを、1瓶1,330円(700ml)のリッチブレンドにグレードアップすること」である。

私にとっての「プチ贅沢」とは所詮この程度。

キラキラ界隈に住む同年代の女子たちは、どうやらプチ贅沢やご褒美といえば

・プチ旅行

エス

・リッチにホテルランチ

といったところらしい。(ネット調べ)

コンビニへ切らした酒を買いに行った際、ついでに週刊誌を買うことがたまにある。

その横に、例えば「横浜ウォーカー」なんかが陳列されていたら気になって手に取ってしまうのだけれど、「キラキラ」した内容に「イライラ」した挙げ句、やはり胸焼けして棚に戻してしまう。

キラキラに関して言えば、まったく憧れないわけではない。

もちろんアウトドアもいいなと思うし、たまには世間に「女子」と呼んでもらえる年頃のうちに、キラキラキャッキャと作り物のチープな日常を刹那的に生きてみるのも良いのかなとは思う。

しかしいざとなると妙に気持ちが萎えしぼみ、妄想のまま終わる。

その妄想さえも苦痛になり、どう考えたってキラキラしに行くよりも部屋で一人、酒でも飲んでいた方が断然心が休まるのである。

友人には

「それなら一人飲みでもちょっとプチ贅沢して、デパ地下でデリとか買ってきたらいいんじゃない?」

と言われたが、そもそも私はハイボールを作ったり、いちいち氷を用意するのさえ面倒がった挙げ句、ウイスキーをストレートで飲むようなガサツな女なのだ。

もちろん面倒なのでチェイサーもなし。

第一キラキラ女子が大好物であろう「風呂場にキャンドル」なんて絶対に持ち込まないし、化粧品も酒を買うついでにドラッグストアの一番安物で十分。

化粧品を買うためだけにカウンターへ出向く女心が、イマイチ理解できないでいる。

その上更に、デスクの上にブラックニッカの空き瓶をコレクションするのが、唯一の趣味になりつつあるような女である。(捨てるのが面倒なだけです。)

そんな女がわざわざデパ地下になんて行くわけがないし、そもそもそこに投資するくらいならば、悩まずいとも簡単に酒をグレードアップするに決まっている。(少々ケチです。)

そんなことを幾度となく繰り返していくうちに、いつしか「私はどうやってもキラキラした女にはなれないのだ」とようやく諦めもついた。

それから酒の量は少しばかり増えたが、アルコールは日々蓄積されていく倦怠と心の凝り固まった部分に適度に染み込み、均一にふやかしてくれることを知った。

時折考え事をしている時に、薬理的に酒を飲むこともある。

適量のアルコールは、その時の気分を増幅させてくれる作用があることも相まって、酒が染み、ほぐれた脳から論理の枠を外れた思考が生まれることも少なくない。

つい最近までまったく飲み慣れなかった酒だが、わりとうまく付き合えるようにはなってきたと思う。

 

そして今日も、正露丸のような香りのする1瓶900円ブラックニッカ クリアで淀んだ心を消毒し、いつかは「ブラックニッカ ディープブレンド」にランクアップしたいなぁなどと、浅い夢を見るのである。

なんとこちらは甘やかな香り、ビターな余韻らしく1瓶1,500円(700ml)。

恐らく翌週月曜、自分の今週の頑張りと摂取した酒の量を換算し、陳列棚の前、いささか悩みの鎌首をもたげるケチな女が私である。